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第5話 輸出停止

last update Tanggal publikasi: 2026-09-14 22:00:54

第5話 輸出停止

 月曜日の朝、神崎冬真はいつもより十分早く家を出た。

 理由は単純だった。昨夜からSNSで「米がない」「パンが一人二袋までになった」「缶詰が急に売れている」といった投稿が増えていたからだ。

 冬真自身、そうした書き込みを全面的に信用しているわけではない。目立つ写真だけが拡散されている可能性もあるし、一部の店で品切れが起きただけかもしれない。だが、母親の畑を実際に見て、斉藤の話を聞いた後では、以前のように「ネットが騒いでいるだけ」と簡単に切り捨てることができなくなっていた。

 駅前へ向かう途中、まだ開店前のスーパーの前を通った。

 人が並んでいた。

 十人や二十人ではない。

 ざっと見ただけでも五十人以上はいる。

 大半は高齢者だったが、スーツ姿の会社員や、小さな子供を連れた女性も混ざっていた。

 冬真は歩みを緩めた。

「何の列だよ」

 入口には紙が貼られている。

『本日の米類の販売について。多くのお客様に商品をお求めいただけるよう、精米はお一人様一袋までとさせていただきます』

 その下には、

『小麦粉、乾麺、即席麺、缶詰の一部商品についても購入点数を制限する場合がございます』

 と書かれていた。

 冬真は数秒立ち止まった。

 まだ開店前だというのに、列の中ではすでに会話が飛び交っている。

「昨日来たら米なかったのよ」

「うちは孫がいるから十キロじゃ全然足りないの」

「来週になったらもっと上がるってテレビで言ってたでしょう」

「テレビは買い占めるなって言ってたよ」

「そう言われても、なくなってからじゃ遅いじゃない」

 最後の言葉に、冬真は何となく引っかかった。

 なくなってからでは遅い。

 理屈としては正しい。

 だからこそ厄介なのだ。

 全員がそう考えれば、本当に棚から物がなくなる。

 だから買わない方がいい。

 しかし自分だけ買わず、本当に物が不足したら、その人間だけが困る。

 善意だけで解決できる問題ではない。

 冬真はその場を離れ、駅へ向かった。

 電車の中でも、ニュースはそればかりだった。

 昨夜、東欧の主要穀物輸出国の一つが、小麦輸出量を当面制限すると正式発表した。

 国内の食料供給を安定させるため。

 発表文には、そう書かれていた。

 経済ニュースでは穀物価格が急騰したと報じている。

 小麦。

 トウモロコシ。

 大豆。

 飼料穀物。

 冬真が普段ほとんど気にしたことのない商品が、軒並み値上がりしていた。

 スマートフォンの画面を眺めていると、向かいに座る中年男性二人の会話が耳に入った。

「こういうのって結局、投機筋が騒いでるだけじゃないの?」

「どうだろうな。輸出制限は実際にやるって言ってるんだから、値段が上がるのは当然じゃないか」

「でも日本は備蓄あるだろ」

「米はあるかもしれないけど、小麦は輸入多いだろ」

「じゃあパン食わなきゃいいじゃん。米食えば」

「その米もみんな買ってるんだろ」

「じゃあ芋だな」

「その芋も寒さでやられてるってニュースでやってたぞ」

「何食えばいいんだよ」

 二人とも笑った。

 しかし、その笑いには数日前までの軽さがなかった。

 会社に着くと、朝から会議室が埋まっていた。

 海外事業部だけでなく営業、物流、購買部門まで集まっている。

 冬真は席へ鞄を置くと、柴田からすぐに声をかけられた。

「神崎さん、朝のニュース見ました?」

「輸出制限だろ」

「それもですけど、うちの取引先が結構まずいみたいですよ」

「何が?」

「食品メーカーです。原料の納入価格が一気に変わったらしくて、製造計画を見直すって」

 柴田はパソコン画面を見せた。

 社内メールが並んでいる。

 冷凍食品工場。

 パン工場。

 製麺会社。

 食肉加工工場。

「これ全部?」

「今朝だけでこれです」

「設備の問題じゃないな」

「完全に原料ですよ」

 冬真は椅子へ座り、内容を確認した。

 ある製麺会社では、輸入小麦の価格上昇を受け、来月以降の生産計画を縮小する可能性があるという。

 冷凍食品メーカーでは、野菜の仕入れ量が予定を下回り、商品構成を変更する。

 食肉加工会社では、飼料価格の急騰を懸念している。

「飼料まで来るのか」

「トウモロコシとか大豆ですからね」

 柴田が言った。

「人間が食べる分だけじゃないってことですよ」

 冬真は頷いた。

 考えてみれば当然だった。

 牛も豚も鶏も食べる。

 飼料が高くなれば肉も卵も牛乳も上がる。

 食料というものが、思っていたよりずっと複雑につながっている。

「おはようございます」

 佐倉が事務所へ入ってきた。

 今日は紙袋を抱えている。

「何です、それ」

 柴田が尋ねる。

「パンです」

「そんな大量に?」

「会社の近くのベーカリー、今日から値上げなんですよ。店員さんが『来月また上がるかもしれません』って言うから、冷凍できる分だけ買ってきました」

「佐倉さんまで買いだめですか」

「買いだめじゃないです。一週間で食べる量です」

「その言い方、スーパーに並んでる人たちも全員言いそう」

「柴田さんは余裕ですね。何も買ってないんですか?」

「俺、米十五キロありますよ」

「何でそんなにあるんです?」

「実家から送ってきたんです。親父が『都会は食い物なくなるぞ』って」

「地方の親、強いな」

 冬真が笑うと、柴田も笑った。

「親父、普段はネット通販すら信用しないくせに、こういう時だけ情報早いんですよ」

「どこから聞いたんだよ」

「農協の知り合いがいるとかで。『今年は農家も読めないって言ってるから、米くらい持っとけ』って」

 佐倉が真顔になる。

「それ、本当にまずくないですか?」

「何がです?」

「農家の人が分からないっていうのが」

 柴田は少し黙った。

「……まあ、気持ち悪いですよね」

 数日前までなら、「考えすぎですよ」と笑っていただろう。

 その言葉を言わなくなった。

 朝礼では、高木課長がいつもより長く話した。

「まず、今日から食品関連の顧客対応を優先する。海外だけじゃない。国内でも生産計画変更が増えている。設備を止める、稼働時間を短縮する、逆に保管設備を長時間動かしたいという相談もある。顧客によって状況が真逆だから、思い込みで対応するな」

 営業部の社員が質問した。

「保管設備を増やしたいっていうのは?」

「原料を確保できた時点で、普段より長く持ちたいという会社が増えてる。特に冷凍、低温倉庫だ」

「要するに在庫を多く持ちたい?」

「そういうことだ」

 高木は少し間を置いた。

「ただし、必要以上に騒ぐな。会社としては通常業務を続ける。政府も今朝の会見で、国内の食料供給に直ちに大きな影響はないとしている」

 その言葉に、冬真は少し眉を動かした。

 直ちに。

 また出た。

 柴田も同じことを思ったらしく、朝礼が終わると小声で言った。

「最近、『直ちに』って言葉多くないです?」

「俺も思った」

「『問題ありません』じゃ駄目なんですかね」

「問題が起きる可能性はあるんじゃないか」

「怖いこと言いますね」

「言葉の意味としてはそうだろ。今日明日は大丈夫でも、来月は分からないってことじゃないのか」

 柴田は少し顔をしかめた。

「神崎さん、最近ちょっと悲観的になってません?」

「そう見えるか?」

「前はもっと『どうにかなるだろ』って人だった気がします」

「今もどうにかなるとは思ってるよ」

「じゃあいいですけど」

 冬真は自分でも少し変わったと思っていた。

 世界が終わるなどとは思っていない。

 大飢饉が来るとも思いたくない。

 ただ、「何も起きない」という前提だけで行動するのが、以前より怖くなった。

 午前十時過ぎ、緊急のオンライン会議が始まった。

 アメリカの食品倉庫運営会社。

 日本側。

 設備メーカー。

 通訳を介して話が進む。

 画面の向こうに映るアメリカ人の男性は、明らかに疲れていた。

『倉庫の稼働を四割まで落とします』

 通訳が訳す。

「四割?」

 日本側の担当者が確認した。

『契約農場からの搬入予定が大幅に下がりました。ただし、状況が改善した場合に備えて設備は止めません』

「作物被害はそこまで深刻なんですか」

 画面の男が少し黙った。

『地域によります。しかし我々の周辺では、農家が植え直しを始めています』

「それなら収穫は可能では?」

 男は首を横に振った。

『可能です。気温が戻れば』

 会議室が静かになった。

 誰もすぐには言葉を続けなかった。

『問題は、来週も低温予報が出ていることです。農家は賭けをしている。今種をまくか、待つか。どちらを選んでもリスクがあります』

「政府の支援は?」

『当然あります。しかし支援金は食料ではありません』

 冬真はその言葉に、斉藤を思い出した。

 保険金をもらえば野菜が生えてくるわけではない。

 日本でもアメリカでも、結局同じだった。

 会議の最後、現地担当者が少し迷うようにして付け加えた。

『個人的な話ですが、皆さんも少し食料を家に置いておいた方がいいかもしれません』

 日本側の参加者が笑った。

「そこまでですか?」

 相手は笑わなかった。

『私は昨日、スーパーを四軒回りました。小麦粉は買えませんでした』

 会議が終わってからも、その言葉が冬真の頭に残った。

 昼休み。

 社員食堂の入口に紙が貼られていた。

『食材価格高騰のため、一部メニューを変更しております』

 今日の定食から卵料理が消えている。

「とうとう社員食堂まで来たな」

 柴田が言った。

「昨日スーパー行ったら、卵十個で七百円近かったですよ」

 佐倉が答える。

「七百円?」

「高いやつじゃなくて普通のですよ。買うのやめました」

「鶏飼った方が安いんじゃないですか」

「都会のマンションでどうやって飼うんですか」

「ベランダ」

「管理会社に殺されます」

「鶏じゃなくて柴田さんが?」

「何で俺が殺されるんですか」

 笑い声が上がる。

 まだ笑える。

 それでも、昨日と同じ会話ではなかった。

 食べ物の値段の話が、会社の雑談の中心になり始めている。

 午後二時。

 冬真のスマートフォンに陽菜からメッセージが届いた。

『お兄ちゃん、ニュース見た?』

『何』

『もう一か国、小麦輸出止めるって』

 冬真はニュースアプリを開いた。

 今度は別の国だった。

 前日の国は「制限」だったが、こちらは一部品目について「一時停止」と明記されている。

 記事には、

『国内供給安定を最優先するため』

 と書かれていた。

 直後、陽菜から電話が来た。

「仕事中だぞ」

『知ってるけど、ちょっとだけ』

「どうした」

『私の会社の子、家でパン屋やってるんだけどさ、小麦粉の問屋から値段上げるって連絡来たらしいよ』

「もう?」

『うん。しかも量を確保できるか分からないって』

「国産小麦使えばいいんじゃないのか」

『それも聞いたけど、国産だって量少ないし、みんな同じこと考えたら足りないって』

「まあ、そうなるか」

『お兄ちゃん』

「何?」

『私、もう少し食料買っておいた方がいいかな』

 冬真は答えに迷った。

 何日か前なら、「買い占めるな」と言っていた。

 今でも、その考え自体は変わっていない。

「必要以上には買うな」

『うん』

「でも、一週間分しかないなら、もう少し余裕あってもいいかもしれない」

『二週間くらい?』

「そのくらいなら普通の備蓄だろ」

『分かった』

「水も少し置いとけよ」

『何で水? 水道止まる話までしてないでしょ』

「地震対策と同じだ。どうせ腐らない」

『お兄ちゃん、完全に防災おじさんになってきたね』

「二十四歳におじさん扱いされるほど歳取ってない」

『三十二でしょ』

「八歳しか違わないだろ」

『八歳は大きいよ』

「もう切るぞ」

『はいはい。ありがとう』

 電話が切れた。

 最後の「ありがとう」が少しだけ真面目だった。

 午後三時半、政府の緊急会見が始まった。

 会社の大型モニターにも映像が流れる。

 担当大臣が壇上に立っていた。

『一部の国で穀物輸出制限の動きがございますが、現時点において、我が国の食料供給に直ちに重大な支障が生じる状況ではありません』

 社員たちは仕事をしながら聞いている。

『米については国内備蓄も確保されております。また小麦などについても輸入先の多角化を進めており、必要に応じて適切な対策を講じてまいります』

 記者が質問する。

『スーパーでは米や小麦粉の品切れが相次いでいます。政府は国民にどのような対応を求めますか』

『必要以上の買いだめは、かえって流通の混乱を招きます。国民の皆様には、通常通りの購買行動をお願いしたいと考えております』

『この寒冷化が長期化した場合でも、食料供給に問題はありませんか』

 大臣の表情がわずかに固まった。

『仮定の質問についてはお答えを差し控えますが、政府として様々な事態を想定し対応しております』

 柴田が冬真の隣で小さく呟いた。

「答えてないですね」

「そうだな」

「長期化したらどうなるかって聞いてるのに」

「分からないんじゃないか」

「政府でも?」

「未来の天気くらい政府にも分からないだろ」

「まあ、そうですけど」

 冬真はモニターを見ていた。

 大臣を責める気にはなれなかった。

 大丈夫だと言えば、後で問題が起きたとき責任を問われる。

 危ないと言えば、今日のうちにスーパーへ人が殺到する。

 何を言っても問題になる。

 政府もまた、答えのない質問に答えなければならない立場なのだろう。

 仕事を終えた冬真は、帰りにスーパーへ寄った。

 朝の店ではない。

 少し離れた大型スーパーだった。

 入口に警備員が立っている。

 店内へ入った瞬間、普段とは違う空気を感じた。

 客が多い。

 買い物かごではなく、大型カートを使っている人が目立つ。

 まず米売り場へ向かった。

 棚の半分以上が空だった。

『お一人様一袋まで』

 大きな紙が貼られている。

 残っているのは五キロ袋が数種類。

 十キロ袋はない。

 冬真は一袋手に取った。

 買うか迷った。

 自宅にはまだ米がある。

 ここで買えば、本当に必要な誰かの分が減るかもしれない。

 その横で高齢の夫婦が話している。

「一袋しか駄目だって」

「じゃあ私とあなたで一袋ずつ買えばいいでしょう」

「一家族一袋って書いてあるぞ」

「店員に夫婦だって言わなきゃ分からないわよ」

「そんなことまでして買わなくてもいいだろ」

「なくなってから文句言わないでよ」

「そんなになくならないって」

「あなたは毎回そう言うのよ。台風のときだって水買わなくて困ったでしょう」

「それは一日だっただろ」

「今回は何日か分からないじゃない」

 夫は黙った。

 冬真は米袋を棚へ戻した。

 今日は買わない。

 まだ家にある。

 次に小麦粉売り場。

 ほぼ空だった。

 残っているのは製菓用の小袋と、高価格帯の商品だけ。

 乾麺も少ない。

 即席麺には、

『お一人様三点まで』

 の札。

 缶詰売り場も、サバ缶、ツナ缶、コーン缶など保存の利く商品が減っている。

 客同士が小声で話している。

「何買っといた方がいい?」

「パスタじゃない?」

「でもソースもいるでしょう」

「塩だけでも食べられるよ」

「米は?」

「もうなかった」

「朝来ればあるかな」

「分からない」

 冬真は自分が何を買いに来たのか一瞬分からなくなった。

 何となく寄っただけだった。

 不安だから。

 それ自体が、買い占めを生む心理なのだろう。

「落ち着け」

 小さく呟いた。

 必要なものだけ買う。

 ジャガイモ。

 玉ねぎ。

 少量の肉。

 牛乳。

 冷凍食品を少し。

 それだけにした。

 レジへ向かう途中、保存水の棚が目に入った。

 ほとんどない。

 そこで、三十代くらいの男性と店員が揉めていた。

「何で水まで一箱なんだよ」

「申し訳ございません。購入が集中しておりまして」

「水道止まってないだろ」

「はい。ただ、防災用として購入されるお客様が増えておりますので」

「じゃあ売ればいいじゃん。金払うんだから」

「ほかのお客様にもお求めいただけるよう、一世帯一箱とさせていただいております」

 男性は苛立った顔をする。

「俺、子供三人いるんだよ。一箱じゃ足りないだろ」

 店員は答えに詰まった。

「申し訳ございません」

「謝ればいいってもんじゃないだろ」

 冬真は通り過ぎた。

 どちらが悪いとも思えなかった。

 店員には店のルールがある。

 男には家族がいる。

 同じ一箱でも、一人暮らしと五人家族では意味が違う。

 公平とは何なのか。

 そんなことを考える日が来るとは思わなかった。

 レジ待ちの列は長かった。

 前に並ぶ女性のカートには、米、乾麺、缶詰、冷凍食品が積まれている。

 後ろの男性はそれを見て、露骨に舌打ちした。

 女性が振り返る。

「何ですか?」

「いや、別に」

「何か言いたいなら言ってください」

「買いすぎじゃないですかって思っただけですよ」

 女性の顔が険しくなる。

「うち家族六人なんです。これでも一週間分ですけど」

「みんな家族いますよ」

「だから何ですか?」

 レジの店員が困った顔でこちらを見る。

 冬真は間に入る気にはならなかった。

 誰も悪人ではない。

 だからこそ面倒だった。

 女性は苛立ちながら前を向いた。

 男性も黙る。

 数分後には何事もなかったように会計が進んだ。

 まだ、その程度だった。

 殴り合いにはならない。

 商品を奪い合う人もいない。

 警察も必要ない。

 けれど人間同士の間に、これまでなかった警戒心が生まれ始めている。

 帰宅すると、母親から電話が来た。

「もしもし」

『ニュース見た?』

「輸出停止だろ」

『そう。それで近所のスーパー、米が一人一袋になったって』

「こっちもだよ」

『あんた家にある?』

「ある」

『本当に?』

「母さんと同じこと聞くなよ。陽菜にも言われた」

『あの子も心配してるんだよ』

「陽菜が?」

『夕方電話してきたよ。「お兄ちゃん、ちゃんと食べ物あるかな」って』

 冬真は少し意外だった。

「本人からそんなこと言われてない」

『言わないでしょうね。兄妹ってそういうもんだよ』

「何だよ、それ」

『素直じゃないってこと』

「母さんにだけは言われたくない」

『私は素直だよ』

「どこが」

『あんたたちのこと心配してるって、ちゃんと言ってるでしょう』

 冬真は返事をしなかった。

 春江が続ける。

『斉藤さん、今日また畑見たけど、レタスかなり駄目みたいだよ』

「そうか」

『出荷できる分だけ早めに出すって言ってた』

「まだ育ち切ってないんじゃないのか」

『そう。でも今後もっと悪くなるくらいなら、多少小さくても出せるうちに出すんだって』

 冬真はスーパーの野菜棚を思い出した。

「それで足りるのかな」

『何が?』

「いや、何でもない」

 電話を切った後、テレビをつける。

 夜のニュースでは、輸出停止を巡る各国の反応を扱っていた。

『今回の措置について、国際機関は各国に過度な輸出規制を避けるよう求めています。輸出制限が連鎖した場合、食料価格のさらなる高騰を招く恐れがあります』

 画面には世界地図が表示された。

 一つの国が止める。

 すると輸入していた国が別の国から買う。

 その国の価格が上がる。

 国内で不足を恐れた政府が、今度は自国の輸出を止める。

 連鎖。

 冬真にも、構造が少しずつ見えてきた。

 ニュースキャスターが続ける。

『政府は改めて、国内の食料供給に直ちに問題はないとして、冷静な購買行動を呼びかけています』

 冬真はソファにもたれた。

「直ちに、か」

 独り言が漏れた。

 冷蔵庫を開ける。

 食べ物はある。

 米もある。

 水道も出る。

 電気もつく。

 今日生きるには何も困らない。

 それでも昨日までとは違う。

 スーパーに行けば何でも買えるという感覚が、少しずつ崩れていた。

 冬真はスマートフォンを取り、陽菜へメッセージを送った。

『食料、二週間分くらいは持っとけ』

 すぐ返信が来る。

『お兄ちゃんもね』

 冬真は少し笑った。

『分かってる』

 送信してから、ふと思った。

 二週間。

 なぜ二週間なのか。

 根拠などない。

 一週間より安心だから。

 一か月では買いすぎだと思うから。

 それだけだった。

 明日、気温が戻れば何もかも笑い話になるかもしれない。

 輸出制限も解除される。

 農家は植え直し、スーパーの棚は埋まり、ニュースは別の話題へ移る。

 冬真はまだ、そうなる可能性の方が高いと思っていた。

 その夜十一時四十分。

 新たな速報が流れた。

『穀物輸出国三か国、国内供給確保を理由に輸出規制を検討』

 昨日は一か国だった。

 今日、一か国が加わった。

 そして明日には、さらに三か国が続こうとしていた。

 世界はまだ飢えていない。

 ただ、それぞれの国が自分の国民を守ろうとした結果、食料を外国へ出さなくなり始めていた。

 誰も悪くなかった。

 だからこそ、この流れを止めるのは難しかった。

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